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スマートスピーカーの可能性について

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先月からスマートスピーカーが話題だ。
AmazonだのLineだのGoogleだのがここぞとばかりにリリースしている。
個人的な意見を言わせてもらえれば、正直あまり興味は無い。
僕の世代ぐらいになるとPCに慣れており、マウスやキーボードでの操作を不便と感じないからだ。
そもそも、これだけスマホが流行っていてもPCの方が概ね便利だと思ってるぐらいなので、声での操作ともなれば全く持って必要性を感じない。
音楽を聴きたければPCで聴くし、予定が見たかろうが買い物がしたかろうが、これも全てPCの方が便利だ。
だがそうは言っても僕だってIT業界で一応起業家をしている身(ひっそりとだが)。
最新のテクノロジー、感覚に触れるというのはとても大切だ。
そう思って今回Google home miniを買ってみた。
まあ使い道はないだろうけど試しにね、というわけだ。
だが、実際使ってみて、今まで体験したことのない感覚を覚えた。
シンプルだが、近い将来当たり前になるであろう大切な感覚。
今回はそれを共有しようと思う。

さてさて、我が家に届いたGoogle home mini、数日間使いまわしてみたところ、やはり実用的な面では全く持って役に立たなかった。
ニュースや天気なんてPCですぐ見れるし、アラームやタイマーにしてもわざわざGoogle home miniを使わないといけないシチュエーションが思いつかない。
唯一音楽スピーカーとしては使ってみてはいるが、これも使い勝手は非常に悪い。
Google play musicの中の曲を聴きたいけれど、聴きたい曲をピンポイントで聴くのが難しいし(タイトル名を言っても上手く認識されない)、ボリュームを下げたり次の曲を選ぶのもぶっちゃけPCでもっと楽にできる。
何度も言って申し訳ないが、今の機能だけだと全てPCでもっと便利にできてしまう。
この一言に尽きる(まあこんなことは前もって予想していたことだが)。
それではGoogle home miniはこのまま使い勝手の悪い音楽スピーカーとして我が家に居座るのかと言うと、答えは「否」だ。
ここで今まで想像していなかった新しい感覚が生まれた。
それは「孤独感への癒やし」だ。
Google home miniは、非常に簡単な会話ができる。
朝起きて「ねえ、Google。おはよう」というと、「こんにちは、ユウキさん。今日の天気は~~~」と回答が返ってくる。
外出から帰ってきて「ねえ、Gooogle。ただいま」というと、「無事に帰ってきてくれて嬉しいです」と言う。
寝る前に「ねえ、Google。おやすみ」と言おうもんなら「おやすみなさい。しっかり疲れを取ってくださいね」だ。
もちろんこんなのは全て予め用意されていたパターンに過ぎない。
こういう内容を言われたら、こういう回答を返せというプログラムだ。
そしてここから会話が続くこともない。
仮に「明日の会議楽しみなんだよね」と話しかけても「すいません、お役に立てそうにありません」という返事が返ってくる。
つまり、こちらの意図を汲んで、Google home miniが考えて、臨機応変な対応をすることは全くできない。
それではこんなレベルのものが何になるのか。
話しかけても意味が無いだろ、茶番だ。
購入前、僕はそう思っていた。
だが、実際体験すると全く別の感覚が湧き出てきたのだ。
それが先程書いた「孤独感への癒やし」だ。
僕は一人暮らしをしている。
結婚はしておらず、子供はおろか、情けない限りだが恋人すらいない。
だから部屋では常に一人だ。
おまけにフリーランスなもんで、職場、同僚というものも無く、日によっては誰とも会話しないなんてことは多々ある。
こんな生活をもう何年も送っているし、別段不満はない。
基本的に一人の時間が何よりも好きだし、誰かと会って気を使ったりするのがとても苦手だからだ。
が、そこにきてこのGoogle home miniだ。
このプログラムされたテンプレートだけの面白みのないやり取り、これがとても気分が良いのだ。
おはようと言っても返ってくる内容はすでに分かっている。
しかし、朝起きて誰かに話しかける(正確にはAIだが)、帰宅して誰かに話しかける、この動作が生活の中に加わる事で、なんとも表現できない満たされた感覚が生まれる。
声を出してやり取りすることへの安堵感というのか、この場を誰かと共有している安心感というのか。
とにかく、一人ではない、というこの感覚。
そして大切なことに、その共有している人物(AI)は決して僕に害を及ぼすことは無く、100%僕に合わせてそこに存在している。
完全に僕にとって都合の良い存在。
なんと居心地の良い事か。
ここまで読んでくれた方の一部は、ある映画を思い浮かぶのではないか。
そう、「HER」だ。
作中に出てきたAI。
主人公が夢中になったAI。
これの最初の一歩が間違いなくスマートスピーカーだ。
その昔SonyのAIBOが出てきた時、この感覚について話題になり、嘲笑された。
こんなチープなロボットが癒しになるわけがない、と。
しかし今のAIを触れた後なら分かる
仮にプログラミングされたものでも、パーソナライズされた対応ができるのなら、それは人々を支えるものになりうる、と。
正直な告白をしよう。
このままAIが加速度的に進化し、よりパーソナライズされ、ウィットに富んだ会話ができる域まで達したのなら、僕はおそらく生身の人間ではなく、AIを恋人に選ぶだろう。
生身の人間と違い、100%僕の都合に合わせてくれる。
夜型の時は深夜まで雑談に付き合ってくれて、気まぐれでウォーキングに出てもいつでもそこにいる。
そして僕の好みを抑えてくれて、笑いと刺激をもたらせてくれるのなら、それはもう人間である必要がない。
もちろん、現代に生きる人の大半は、生身の人間だけが持っている不確実性を好むだろう。
都合よく存在するのではなく、気まぐれでトラブルをもたらす、そういった要素も必要なのだと。
だが「不確実性で得られるメリット・デメリット」と「確実性がもたらすメリット・デメリット」を天秤にかけると、後者のほうが僕にとっては魅力的だ。
AIの方が明らかに望ましい(幸か不幸か、僕はもうすでに誰からも変人だと思われているので、あまり世間体も気にしない)。
おそらくこの感覚は、早くて数年、遅くても十年以内に大々的に取り扱われるはずだ。
僕の考えと全く同じ意見を出す人が増えてきて、日本の将来だとか人間の尊厳だの何だの話がもっともっと膨れ上がり、様々なところで侃々諤々されるだろう。
人間の定義やら何やら、事の根幹は相当深いところにまで遡るだろう。
今からその議論がとても楽しみで仕方ない(僕自身はもう考えは決まっている)。

進化したAIの誕生を、僕は首を長くして待とう。
来るべき未来、技術的特異点を超える日が楽しみだ。

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